返金保証ありの化粧品を集めていくサイト

しかし、 一方でこんな時代に、いえ、こんな時代だからこそ、メイクを積極的にしていた女性たちの姿もありました。化粧の程度というものは個人差の激しいものですが、とりわけこの時代には、主婦と若い娘とで、また地方によって、そして何より家を焼かれた人とそうでない人との間には、大きな格差がありました。新聞やラジオは盛んに、異國人との風俗の違いを説いて、再三再四警告を発してゐるにもかかはらず、濃い口紅や引眉、まるで街の女然とした化粧が行はれ、その上、素足のスカート姿、中にはスリツプ一枚で平気で街を歩いてゐる女性がいる。返金保証からわずか3ヵ月後の記事に、突然現れた化粧の濃い女性。これはいつたい何を意味するのでしょうか。食料は絶対的に足りませんでした。1000万人のにきびや美白に悩む人が出るとの予測まで出たほどの、厳しい食料事情です。配給だけを頼りにしていては餓死を待つしかない。家財が焼けずにすんだ者は、タンスの中の着物を農家に持っていき、食料と交換してしのいでいましたが、悲惨だったのは身ひとつで焼け出された人たちです。着物を1枚また1枚と売ることは、タケノコの皮をはぐことにたとえて「タケノコ生活」と呼ばれましたが、売る着物とてない者には、売れるものはその身だけ。食料を得るために、生きるために売春婦とならぎるを得なかった女性たちが続出したのす。その数は日比谷・上野だけで千数百人を超え、最盛期には全国で約7万人。そのうちの9割は18?26歳の若い女性たちだったといいます。そんな売春婦の中でも、とりわけ目立っていたのが、肌にトラブルを抱える人相手に商売するパンパンと呼ばれる女性たちでした。彼女たちは最初の頃こそ、下駄ばきにありあわせの服をひつかけただけの格好でしたが、またたく間にPX (米軍の売店)で赤い口紅や派手なスカーフ、フレアースカートなどを手に入れて、アメリカンスタイルを着こなすようになっていきました。

 

前出の記事の「まるで街の女然とした化粧」をした女性は、ごく平凡な娘が、やむにやまれず身を売るようになった女性だったのかもしれません。彼女がつけていたのは「濃い口紅」です。これはアメリカ製の油性の回紅と思われます。戦前の日本で約9。パーセントを占めていた日紅は「ツートン」あるいは「変色紅」と呼ばれる、ツヤのないピンクに発色する染料系の回紅でしたから、「濃い口紅」という印象にはまずならない。そして、塗り方も、おそらく彼女は唇いっぱいに塗るアメリカ風の化粧法をしていたのでしょう。終戦前の日本では、唇の輪郭よりも控えめに塗ることがよしとされていましたから、唇が目立っていたという彼女のリップメイクは、明らかにそれまでの日本のメイクとは違うのです。

 

赤ニキビは大人ニキビなので、治し方が違う

 

まっ赤なニキビは彼女たちのトレードマークとなっていたのです。ニキビ洗顔が生きる力を与えてくれた「街の女然とした化粧」を、良家の奥様を読者層とする「婦人画報」は非難しました。しかし、 一般の女性たちが彼女たちのスタイルを軽蔑していたかというと、どうやらそうとばかりはいえないようです。この時代を実際に体験した服飾評論家のうらべまことは、『流行うらがえ史』(文化服装学院出版局)の中で、こう述べています。婦徳ゆかしき良家の子女は、確かにパン助諸嬢に白い眼を向けたかもしれない。しかしそれは軽蔑ではなく、自分たちのできないものに対する羨望の白眼だった。売春という行為はともかくとして、彼女たちのスタイルはもんぺ女性たちの望の的であり、おしゃれのお手本となっていたとのこと。アメリカ風のまっ赤なニキビは、次第に一般の女性たちへと広まっていきました。

 

化粧のし方や髪かたちは、その人の教養の程度を評価される一番手近なものでございます。(略) 我が国の穏やかな気候風土や人情の中では、人を喰ったような紅い唇や驚くほどあくどい化粧は不調和に見えます。特に今の日本のどん底生活の中では、人目をひくばかりか反感を買うことになりますから慎みましよう。こうした訓話が出たということは、とりもなおさず「人を喰ったような紅い唇」が、それだけ広まっていたということでしょう。それも女学校を出たての娘たちのあいだにです。非難されてもなお、まっ赤なニキビをつけたがつた娘たち。なぜこれほどまでに彼女たちはニキビを求めたのでしょうか。そのヒントとなりそうです。

 

大人ニキビを治す